『ぼっち・ざ・ろっく!』はなぜ面白いのか。ぼっちちゃんに学ぶ成長の形

雑記ぼっち・ざ・ろっく!,左利きのエレン,成長,非認知能力

こんな奇跡、たぶん一生起こらない!絶対無駄にしちゃダメだ!

『ぼっち・ざ・ろっく!(第1話)』後藤ひとりのセリフ

『ぼっち・ざ・ろっく!』の面白さについて語っていくよ
アニメ版をベースにしてます。ネタバレありです

概要

『ぼっち・ざ・ろっく!』ははまじあきによる4コマ漫画及びそれを原作としたCloversWorks制作のアニメです。

あらすじ

本作の主人公後藤ひとり(通称ぼっちちゃん)はコミュ障、ぼっち、陰キャ、引きこもりがちな性格・気質で周りの人とはあまり関わらない生活をしていた。

その性格や気質から、中学のときにバンドに憧れ、ギターに没頭し、驚異的な練習量を積んだ。その結果、Youtube上でギターヒーローとして知られるようになり、ギター演奏動画を通じて一定の知名度を得るほどのギター技術を習得した。

高校生になってバンドをやりたいと心の中で思っていても、当然その性格から声をかけバンドに誘うことなど出来ず、ぼっちな生活を送ろうかに思えた。しかし、ヒョンなことからギターの穴埋めとしてバンドに誘われ、ライブで演奏することになった。

ここから主人公ぼっちちゃんは様々な経験をしていく。

ぼっち・ざ・ろっく!は成長ストーリーである

ぼっちちゃんはYoutuberとして活躍するほどのギター技術を持っていながら、ライブ前の初合わせをしたとき、バンドメンバーから「ド下手だ (CV.伊地知虹夏)」と言われてしまう。
それもそのはず、ぼっちちゃんは今まで他人と関わることのない生活を送ってしまったために、周囲の状況にあわせられないことにより、うまく演奏できなかった。

ぼっちちゃんはここで挫折を経験するが、バンドをやりたいという思いから、ライブをなんとか無事に終了させ、このバンドのメンバーの一員になる。

その中で、ぼっちちゃんは歌詞を書き上げたり、ライブに出て悪い状況を乗り越えたりと様々な経験をしていく。

この作品を成長ストーリーたらしめるのは、はやり最終話(第12話)の文化祭ライブである。

文化祭ライブでは、ぼっちちゃんが演奏するギターソロ付きの曲が楽曲リストに組み込まれていた。
しかし、この曲の演奏を始めてから、ぼっちちゃんのギターに異常が出始める。ギターソロパートが迫る中、ギターの弦が切れるというアクシデントに見舞われ、ギターソロが絶望的な状況となってしまう。

誰もがあたふたするような場面なのに、ぼっちちゃんは冷静だった。
ギターソロ直前になったとき、周囲の状況を的確に把握し、ギターボーカルが時間を稼いでいることに気がついたのだ。
そこからこの絶望的な状況を打破する一手を思いつき、ギターソロを乗り切り、文化祭ライブは成功(笑)で終わる。

ギターの弦が切れた絶望的な状況をぼっちちゃんがどう乗り切るかは、ぜひ本編を見てね

第1話から第12話までだいぶ結論を飛ばしてしまったが、この期間に起こった小さな経験の積み重ねが、周りの状況に合わせられない気質を乗り越え、周囲の状況に合わせられるような人物へと成長させた(バンドにおいてのみなのだが)。


おそらく、1回見るだけでは成長ストーリーになっていることに気づかないと思う。
でも、よく見てみると作品を通して未熟な部分と成長した部分とが綺麗に対比している

個人的には、この成長のさり気なさがとても気に入っている。
超絶ギター技術を持っているからといってバンドで無双するわけでもなく、欠点があればうまくいかないこともあるし、欠点を克服するにはやっぱりコツコツと積み重ねることこそが重要である、と思わせるストーリーなのだ。

『ぼっち・ざ・ろっく!』ってギャグアニメじゃなかったっけ?

主題をあえて隠して、ギャグアニメ(きらら系)にすることで見てもらおうとしているアニメだね
「コツコツと積み重ねることが成長です」って主題のアニメ、だれも見ないからね

なるほど、ギャグアニメ以上の面白さを感じたのはそういうことだったのね

こういう「積み重ねこそ成長」が主題の作品は無数にあるんだろうけど、面白さと両立している作品は少なくて、あんまり日の目に当たってないのかもしれない

本作の魅力

ストーリーを全体で通してみると、王道の成長ストーリーであるが、それだけが本作の魅力はない。

本作の魅力は、視聴者にとって主人公は成長しているように見えるが、当の主人公は終始、成長を実感していないことにある。

素晴らしい経験をした主人公が得たもの

主人公ぼっちちゃんはバンドを始める前、周囲の状況に合わせられないという欠点から、バンドに入るのをためらっていた。
だが、バンドをやりたい思いから「こんな奇跡、たぶん一生起こらない!絶対無駄にしちゃダメだ!」と決心し、主体的な行動からバンドを始める。

それからというもの、主人公が今までしてこなかった様々な経験をすることになる。

  • 「へぇ~、後藤さんギターうまいのね (CV.喜多郁代)」とギターの技術を面を向かって褒められる経験
  • 「個性を捨てたら死んでるのと一緒だよ (CV.山田リョウ)」と自分のコミュ障・ぼっち・陰キャの性格や気質の個性を認めてもらう経験
  • 「私ね…このライブハウスが好きなの …(中略)… いい箱だったって思ってもらいたいって気持ちがいつもあって (CV.伊地知虹夏)」とバンドメンバーと本当の夢について話す経験
  • 自分の個性をさらけ出し、バンドの楽曲となる歌詞を書き上げ、バンドに貢献する経験

普通に生活をしていれば当然のように経験する出来事もあるが、ぼっちちゃんにはどれも新しい経験であるし、歌詞を書き上げる経験を一般人はしない。

ある意味、青春のほんの1ページという経験とも受け取れるが、青春以上の経験をしているとも捉えられる。

これら素晴らしい経験をしてきて、主人公のぼっちちゃんは何を得たのか。

それは、、、

結局、成長って何か分からなかった

『ぼっち・ざ・ろっく!(第5話)』後藤ひとりのセリフ

である。

非認知能力の成長感覚

学校の成績が良いからといって、社会に出て必ずしも活躍できるとは限らない。
これは、非認知能力が十分に育っていないため、つまりは能力に偏りがあるためである。

計算力や語学力のようにテストなどによって計測でき、数値化できるような能力のことを「認知能力」と言い、コミュニケーション力や意欲、忍耐力など、数値による測定が難しい能力のことを「非認知能力」と言う。

ぼっちちゃんは、ギターヒーローというYoutuberとしてチャンネル登録者3万人を達成しており、また、ぼっちちゃん自身も3万人を達成できるほどのギター技術を持っていることを自覚していた。
つまり、ギター演奏においての認知能力を持っていたということになる。

しかし、いざバンドを始めてみると、周りに合わせることができないために、バンドへの貢献はすぐにはできなかった。
つまり、非認知能力がなかったのだ

数値化できない能力の成長は実感が難しく、ぼっちちゃんは「結局、成長って何か分からなかった」ままだった。

ただ、文化祭ライブは成功に終わり、客観的に見ると成長していることが視聴者には分かる。

このアニメは、主人公自身は成長の実感はないが、客観的に見ると成長している」という非認知能力の成長がよく描かれた作品なのだ。

認知能力と非認知能力のギャップに大きな挫折を経験するものだけど、プライドの少ない女の子が主人公だったおかげで、挫折はすぐに乗り越えて成長できる環境に身を置けたみたいだね

突出した能力を持っていたとしても、他の能力が疎かになっていることは誰にでもあるし、プライドを捨てて足りないものをおぎなえる環境に身を置けると良いってことを思わせてくれる作品ね

非認知能力が認知能力より成長を実感しづらいのもそうだが、認知能力だけ持っていても活躍はできないし、むしろその分、非認知能力の低さに挫折するものだ、という主題もあり、成長というものを考えさせるアニメである。

まとめ

きらら系アニメは主題がなく、可愛い女の子が出てくるただのギャグアニメが多いけれど、
きらら系特有のギャグセンスに、成長が主題のストーリーが合わさることで、神アニメになっていた作品でした。

成長の実感がなくても、積み重ねていくことが大事、と思わせてくれる素晴らしいアニメなので、
ぜひ見てみてください。


『左利きのエレン』にこんなセリフがあったね

現実じゃ成長曲線が右肩上がりとは限らねぇ…
一度「出来る」と思えたことでも…
環境が変わった途端「出来ない」と思う様になったりな…

『左ききのエレン (13巻)』 沢村 孝のセリフ

ある一面で能力が伸びていても、別の側面から見ると伸びていないとき、
成長してるって思っていいのか悩むやつね

例えば、難しい開発案件に入って、あるプログラミング言語が習得できたのに、案件を納期までに完遂できなかった、みたいなときだね、、、
プログラミングの能力と案件の完遂能力は別けて考えよう